れい@未熟なパパさん新聞

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生きるために働くのか? 働くために生きるのか?

 

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働き続けることで身を削る美徳センス

 

なぜ僕らは働くのか?

その疑問を自分なりにまとめてみた。

このブログは

[1]なぜ今したくもない仕事に人生の時間を使ってしまっているんだろうという不安感を解消できます。

[2]ぼんやりと毎日社会の歯車となっている人に向けて伝えます。

 

僕らの仕事の実態

人生の時間は限りがある。

僕らは生まれてから死ぬまで多くの時間があるように思える。

実際、80年や90年は果てしなく長い時間のように感じる。

まだ「30だからとか」「折り返し地点だな」とか言ったりするが、そんなこと言ってる場合ではない。

僕らは明日死ぬかもしれないし、今日、このあとすぐ死ぬかもしれない。

それなのに今まで続いてきたようにこの先も命が続いていくような気さえしてしまう。

僕らはもっと自分の人生の時間についてよく考えるべきではないだろうか。

 

働くということは時間を売るということ

僕は8時間仕事に拘束されている。

通勤時間や毎日の残業も合わせると、1日10時間ほどだろうか。

毎日その時間を支払って何を得ているのだろう。

 

それは「お金」だ。

 

そう。僕らはお金を得る手段として仕事をしている。

ではそのお金で何を買っているのだろうか。

例えば、僕らはそのお金で趣味に時間を費やしたりしている。

いや、まてよ。

僕らは自由な時間を支払ってお金を得て、そのお金で自由な時間を買っているのか。

そう考えると、僕らのやっている仕事とはいったい何なんだろう。

ほかにも、病気やけがをしたときに医療費で使ったりする。

そのよくなった体で僕らは何をするだろうか。

それは「仕事」だ。

仕事をすることで疲弊しきった心や、疲れ果てた肉体を、仕事をして得たお金でメンテナンスする。

そしてよくなった体で仕事に勤しむ。

僕らは一体何をしているのだろう。

 

自分の時間を取り戻せ。

仕事と遊びは割り切れ。

仕事は仕事。遊びは遊び。と割り切れる人がいる。

僕はどうやら仕事を給料をもらうためという風に割り切ることはできない。

それはなぜかというと、さっき述べたように、自分の時間を給料をもらうために差し出すような真似は絶対にしたくないからだ。

僕は仕事も遊びの延長でやっていきたい。

それは甘えだという人も、理想論だという人もいるが、僕は強く思う。

僕は僕の人生の時間を隅から隅までしっかり味わいたい。

僕はアイスの蓋も、プリンの蓋も、ケーキのフィルムも余すことなく舐めるタイプだ。

自分の人生も同じだ。

そうしなければ、もったいない気がするし、

自分を生んでくれた両親に申し訳ない気さえする。

僕は僕のままで、僕の人生を楽しい時間にしていきたい。

だから、僕は仕事だろうが、嫌なことだろうが楽しくいられる方法を考える。

 

嫌な仕事はするな。

この仕事嫌だなとか、やってても意味ないなと思うのならばやめたほうがいい。

そんなやめられないよと、生活があるのだからと言い訳する人がいるが

生活保護だろうが失業手当だろうがなんとでもなる術はある。

この人たちは変化を恐れているのだ。

そして周りの目を恐れているのだ。

だから、仕事に違和感を感じてもそれに蓋をし、見て見ぬふりをする。

あたかも、はじめから違和感がなかったかのようにふるまい、自己正当をしはじめたりする。

自分が向いていない仕事を、やりがいの感じていない仕事を、嫌だなと思いながらする必要はない。

それは自分の時間をドブに捨てているようなものだ。

向いている誰かに、その仕事にやりがいを持つ誰かに任せればいいだけのこと。

人には向き不向きも、好き嫌いもあり、千差万別だ。

だから自分の好きな仕事を選んで、楽しくやればいいと思う。

幸いにもこの世の中は仕事にあふれている。

探せば自分に向いた仕事なんて必ず見つかる。

 

逃げ出すことが悪だとする風潮

僕らは動物である。

人間という動物なのだ。

しかし、この動物はどうやら脳が発達しているらしい。

どうやら、心と体を引き離して考えるらしい。

人間以外の動物を想像してみてほしい。

自分よりも体の大きなものと対峙したとき、天敵が目の前に現れたとき、茂みから物音が聞こえたとき、

人間以外の動物は大げさなくらい驚いてその場から逃げる。

野生の猫やウサギを捕まえにくいのも、こちらを警戒してすぐ逃げ出すからだ。

しかし、人間という生き物は

逃げたいという気持ちがあれど、その場から動かない場合がある。

心からとっくにSOSのサインが出ていても、逃げない場合がある。

寝不足、手足の震え、虚無感、食欲不振、過食、絶望、緊張、ストレス。

僕らはそんな体の異常をエラーだとは思わず、心のSOSを見逃してしまう。

正確には見て見ぬふりだ。

他の人にはわかってもらえず、甘えだと解決させられる。

人間以外の動物は心のSOSによく気が付く。

そうしなければ、繁栄していくことができないからだ。

僕らも心のSOSに耳を傾け、やめたいと思ったらやめれる勇気を持とう。

もし、それが無理ならば、無断で休んだっていい。

一番大切なのは会社ではなく仕事でもない。

自分の人生の時間だ。

それを骨の髄まで楽しむために、自分の体は大切なのだ。

 

働くために生きているのではない。

生きる理由とは

ぼくらはなぜ生きているのだろうか。

仕事をするために生きていると答える人はいるだろうか。

僕らは自分の人生を豊かなものにするためにその手段として

「仕事」をしている。

つまり、僕らは「生きる」ということが大前提にあるのだ。

仕事が楽しいと思う人がいる。

それは素晴らしいことだと思う。

なぜなら、仕事が自分の人生をよりよく楽しめるエッセンスになっているからだ。

僕らもそうでなければならない。

そのためにも、やはり

仕事と遊びの一体化を僕は望む。

 

働くために生きているのではない。

僕ははたらくために生きているのではない。

具体的に何のために生きているのか?

と問われれば

答えに困るかもしれないが

確実に言えるのは

働くためではない

ということだ。

愛する人と一緒にいるために、大切な人を守れるように

愛してくれた人に恩返しができるように

僕は仕事という手段を選んでいるだけだ。

 

手段に過ぎない。

 

だから、仕事が合わないと思ったら変えればいいし、つらいと思ったらやめればいい。

僕らは仕事のために生きているわけではないのだから。

 

仕事は人生においてとても小さなことなのだから。

 

僕らが自分らしく自分の人生を歩んでいくことのほうがとても大きなことなのだから。