れい@未熟なパパさん新聞

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人は好意点でつながり、相違点で離れていく。

出会いと別れにはいつも深い意味がある。 | シンプリィライフ

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出会いと別れは同じ点

好意点・・・他人に対して好意的な印象を受ける相手の特徴や雰囲気など

 

今回は「好意点」という意味付けを上のようにして話を進めていきます。

 

 

今回は

「人は好意点でつながり、相違点で離れていく」というテーマで話していく。

 

 

人とのつながりはどのようにできていくか。

 

怪しげな勧誘や、宗教団体や、暴力的なグループなど、

 

僕には嫌悪感を感じてしまうグループがいくつかある。

 

なぜ嫌悪感を感じるかというと、自分には理解ができないからだ。

 

自分の生活とかけ離れていて実態がわからない。

 

人が何かを拒絶する理由の一つには

 

「無知」

 

その何かに対して情報を持ち合わせてないから。

 

という場合がある。

 

そして、その嫌悪感を抱いている団体の人と仲良くなりたいとは

 

僕は思わない。

 

それらの団体にいい印象を持ち、仲良くできる人もいる。

 

ただ僕はあまりにも自分の生活と相まみえないので、いい印象を持つことはない。

 

決してその団体が悪いとか言いたいわけではないし、否定しているわけではない。

 

僕らは自分が好意を持った人とつながろうとする。

 

他人の素敵なところを見たり、感じたりすると

 

その人と近づいてみたい、友達になりたい、

 

恋人になってみたい

 

などのいいイメージを持つ。

 

僕らは人に対して好意を抱いた点(好意点)でつながろうとする。

 

しかし、ここで重要なのは

 

僕らは全くの赤の他人ということだ。

 

一見、他人の好意点を見つけると

 

その人がとても素敵な人に見える。

 

自分と似ている。とか、同じ価値観だ。と思ったりする。

 

それは幻想であり、まやかしである。

 

僕らは他人同士。

 

生まれ持ったものも違うし、生育環境も違うし、

 

ものの感じ方も違う。

 

全く同じ環境で育ったからと言って、

 

同じ人間ができるわけではない。

 

僕らが一見他人に対して見つけた好意点というのは

 

その人のほんの一部だということを忘れてはいけない。

 

似ている、価値観が合うといっても1割か2割程度だろう。

 

残りの8割、9割は僕らは合わない。

 

つまり、ごくわずかな好意点と、残り大部分の相違点を持ち合わせている。

 

だけど、僕らは初めに好意点を見つけてしまうと、

 

そこだけが大きくイメージとして残る。

 

大部分の相違点が見えなくなる。

 

そして、その相違点すら、

 

自分でいいように解釈してしまうのだ。

 

 

しかし、時間がすぎて、そのまやかしが解けていくころに

 

相違点が顔を出す。

 

あの時、みることができなかった相違点がここから暴れだす。

 

「価値観が合わない。」

「思ってた人と違う」

「こんな人とは思わなかった」

 

こんなことを言い出す。

 

しかし、そもそもが違うのだ。

 

他人が変わったわけではない。

 

自分の見方が変わったのだ。

 

もとから

価値観なんてほとんど会うことはないし、相手の態度が変わったわけでも、性格が変わったわけでもない。

 

ただ、自分が

 

価値観があってほしい。

こんな人であってほしい。

こんな性格であってほしい。

 

とまやかしにかかるうちに

 

私とおなじ価値観だ。

こんな人だ。

こんな性格だ。

 

と勝手に幻想を作り出してしまう。

 

相違点ばかりなのに、そこに蓋をして、見えなくなってしまう。

 

だから、僕らは本来あるはずの相違点に盲目になり、好意点だけをたよりにつながろうとする。

 

 

一度こんな人だとは思わなかったと相違点に目が向けられれば

 

もうその点が好意点に変わることはない。

 

それは恋愛でも同じだ。

 

僕らは初めが息が合うと

 

好意点でつながるが

 

次第に相違点がみえてきて、

 

離れていく。

 

 

自分の相違点を隠すことが必要なのではない。

 

自分の相違点を相手に認めてもらわなければならない。

 

そして相手の相違点を受け入れることのできる器の大きな人でなければならない。

 

僕らは自分の気持ちと対峙して考えることのできる生き物だ。

 

相手のことを理解することを怠ってはいけないのではないだろうか。